村人Aの憂鬱。

サークル終わって、満員電車に締め上げられながら帰ってきて、敷きっぱなしになっていたお布団にぼてんと倒れる。そのままぐてんと寝返りを打って、30秒くらい目を瞑って鋭気ゲージをチャージ、そいやっといっきに上体を起こす。これに失敗するとそのままグダグダが続いて、特に何かをしたわけでもないのに睡眠時間が足りない、なんてかなしい事態になりかねないから、気の抜けない勝負の瞬間である。幸い、今日のぼくはそれに勝利して、着替えとタオルをひっつかんでお風呂へゆく。しゃわびるのだー。
早いうちにお風呂を済ませておくと、単調減少してゆくことが経験的に知られているぼくの元気が、身体を清めるのに十分なエネルギィの閾値を割ってしまい、その割にそのまま寝るのもなんか嫌なぼくが不慮の夜更かしをしてしまうということが減るのだ。かなしい学習の成果である。かなしい。
シャワーで身体をあたためつつ、頭をわしゃわしゃと洗いながらぼーっとしていると、呼びもしないのにいろいろな考え事がふつふつと頭の中で沸き立つ。考えたくないことを考えてしまうって、自意識なんていう虚像が虚像にすぎないことの明らかな傍証になると思うのだけど、いまいちみんな指摘しない。ぼくの脳みそがいうこと聞いてくれないんですよーって、その脳みそが絞りだすぼくが憤っているの、ちゃんちゃらおかしいことのように思うのだけどー。んー、言うまでもないことだからだろうか、もしかしてぼくは周回遅れだったりする?とかなんとか。そんなこと考える暇あったら、人工社会のモデル作りとか、サッカーのレポート書かなきゃとか、正しい部分のぼくが指摘するのだけど、あまり効果があったためしはない。ぼくは小さい頃から、自意識ってやつが怖くて、いや、誰もが自然を自然なものとして受け入れているってのが恐ろしくって、だからこういう考え事は全てに優先してしまう。恐怖は、命に直結するから、太古の昔から。あ、これ皮肉だ。ふふん。なんていうのかな、ぼくはひょんなことから自意識の裏の顔を知ってしまって、みんなにこいつは実は危ういやつなんだぞって警告するのだけど、みんなは、またまたーそんなことあるわけ無いじゃんって笑って受け流す、そんな綱渡りみたいな怖さ。胃がきゅるきゅるとする。ちなみにここで言うみんなはしあわせな方のぼくのことなので、勘違いしないように。
そんなだから、ぼくだけは不幸なまんま、しあわせなぼくたちを救い出してやらなきゃって孤軍奮闘を続ける。このふしあわせさが消えたら、ぼくはおしまいなんだって、そうであって欲しいと願っているかのように、アラートを鳴らし続ける。何をやってるんだろう、こんなことに意味はあるのか、なんて戯言は、無視。それが奴らのやり口だから。そういう次元のお話ではないのだ。
いつの間にか、ぼくはシャワーを終えて、寝間着を着て、髪をかわかしている。ドライヤーの熱風が、ぼくの頭を冷やす。そういえば、1兆度の火球を2千度の溶岩が冷ますって、事象としては正しいけどなんかおかしいよね。直感なんてその程度のものにすぎないというだけのことなのだけど。
生きるのに十分なだけのロジックを与えられて、世界の中に放り込まれたぼくらが、世界の外にいてどのくらい理性的であれるのか。迷路を解くためだけに作られたロボットが、迷路の外に何を解くのか。ぼくにはよくわからないけど。
まあ今のところは、レポート書かなきゃ。
ではまた。